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梶原千沙都 福岡公演のレポート
10月3日(金)に福岡市中央区で開催した、九州初の私のソロ公演、「梶原千沙都の演奏とお話しで綴るヘルマンハープ公演」が盛況のうちに終了しました!
福岡で初めてヘルマンハープのコンサートを行ったのは2009年4月でした。
そのときは、アクロス福岡の円形の小さなホールで演奏会を行いました。演奏会関西から福岡にお引越しされたたった一人の愛好家しかヘルマンハープを弾いてる方はおられなかった時代です。
それから5年がたち、福岡を中心に九州地区でも大勢の方がヘルマンハープで音楽生活を楽しんでおられます。
来場者のアンケートからは、「とっても美しい曲で心が癒されました」「千沙都さんの声も美しく素敵でした」「レベルの高いコンサートでうっとりと聞きました」「手の動きが参考になった」などのうれしい感想をいただきましたが、中には「音が大きすぎないのが、嬉しく、ほっとしました」という感想も。実は、からだにやさしい、静かな音楽を求めている方も多いのです。
それから、福岡の障がいのある教室生お二人とインストラクターの白水さんが、バリアフリーステージで《ふるさと》のアンサンブル演奏を披露してくださいました。
この心温まる演奏に、会場からは心からの拍手が送られました。
障がいのあるヘルマンハープ奏者には、実は男性も多いのです。健常者の男性は、ハープという楽器を弾くことに、何か照れるようなところがおありになる方もおられるようですが、ヘルマンハープを男性が弾く姿もすてきでしょう?
音楽を通して、感動をともにできること、通じ合う心を感じること、ひと日の人との出会い・・・。それがコンサートの魂でしょうか。
インストラクターのみなさん、はなやかなお花をありがとう!
また、この公演には、大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館をはじめ、バイエルン州駐日代表部、福岡EU協会、公益財団法人日本ダウン症協会、FBS福岡放送の団体や法人、各機関よりご後援をいただき、心からお礼を申し上げます。
番外編〜公演前の出来事〜
この度のリサイタルを開催するにあたり、
様々な方とのご縁をいただいたのでここでご紹介します。
◇産経新聞、毎日新聞、読売新聞、朝日ファミリーなど、各紙にリサイタルの紹介記事が掲載されました。
ヘルマンハープ初のソロ・リサイタルということで、どのようなステージが展開されるのだろうと、大きな関心を寄せられました。
2014.5.22 25
2014.06.06 00
2014.05.22 24
◇ラジオにも出演しました
毎日放送の人気番組「ノムラでノムラだ!」にゲスト出演しました。野村さんのリードで楽しい時間でした。初のリサイタルの話も大きな話題になりました。
◇ナレーション収録
5月、フリーアナウンサーのささきみほさんに、東京にお越しいただき、ナレーション収録をしました。
ささきみほさんの柔らかいお声のトーンが、ヘルマンハープ・ストーリーのナレーションにぴったりでした。
◇通し稽古
リサイタルの3日前、客演のWilli Huber氏の日本到着の翌日、伊藤圭一氏率いるテクニカルメンバーの皆さんと通し稽古を行いました。
本番に向けて、6時間、技術的な確認と舞台進行の確認を行いました。
◇バリアフリーステージの練習
大阪でも東京でも、ヘルマンハープのバリアフリー奏者(障がいのある奏者)とともに活動する人々のグループができました!
リサイタルステージの締めくくりをになう皆さんの練習風景です。はつらつとしたみなさんの様子は頼もしいばかりです。
◇ドイツ連邦共和国大使館と領事館、そしてバイエルン州駐日代表部よりご後援をいただきました。
プログラム表紙〈東京公演〉
プログラム〈大阪公演〉
プログラム〈東京公演〉
◇2012年4月、音響プロデューサー、伊藤圭一氏による梶原千沙都のCD収録がスタートしました。
「バリアフリーの花~ヘルマンハープサウンド~」ヘルマンハープ史上、楽器のポテンシャルを本格的に開花させたCDと言われています。このCD製作が起点となり、今回のヘルマンハープ初のリサイタルが実現することになりました。
「ヘルマンハープの本格的なサウンドをみんなに届けよう!」
そんなプロフェッショナルな人々の熱い思いがこの日から始動しました!
(写真はKim Studioにて)
ソロリサイタルというステージで、2本の腕でどうやってヘルマンハープの感動をお客様に伝えられるか?
リサイタルに向かって、全てが手探りの日々でしたが、ご支援いただいたみなさまのおかげで、すべては忘れられない感動的な思い出となりました。
今はまた、いつものように、教室講義やセミナー、各種行事に追われながら、日本中を移動しています。この何でもないように見える日常に私は鍛えられているのだと思います。
いつかまた、みなさまと夢でお会いできるように、自分を鍛え、進化させていきたいと思います。
このリサイタルでいただいた素敵なご縁に感謝します!
ヘルマンハープ
様々な方とのご縁をいただいたのでここでご紹介します。
◇産経新聞、毎日新聞、読売新聞、朝日ファミリーなど、各紙にリサイタルの紹介記事が掲載されました。
ヘルマンハープ初のソロ・リサイタルということで、どのようなステージが展開されるのだろうと、大きな関心を寄せられました。
◇ラジオにも出演しました
毎日放送の人気番組「ノムラでノムラだ!」にゲスト出演しました。野村さんのリードで楽しい時間でした。初のリサイタルの話も大きな話題になりました。
◇ナレーション収録
5月、フリーアナウンサーのささきみほさんに、東京にお越しいただき、ナレーション収録をしました。
ささきみほさんの柔らかいお声のトーンが、ヘルマンハープ・ストーリーのナレーションにぴったりでした。
◇通し稽古
リサイタルの3日前、客演のWilli Huber氏の日本到着の翌日、伊藤圭一氏率いるテクニカルメンバーの皆さんと通し稽古を行いました。
本番に向けて、6時間、技術的な確認と舞台進行の確認を行いました。
◇バリアフリーステージの練習
大阪でも東京でも、ヘルマンハープのバリアフリー奏者(障がいのある奏者)とともに活動する人々のグループができました!
リサイタルステージの締めくくりをになう皆さんの練習風景です。はつらつとしたみなさんの様子は頼もしいばかりです。
◇ドイツ連邦共和国大使館と領事館、そしてバイエルン州駐日代表部よりご後援をいただきました。
◇2012年4月、音響プロデューサー、伊藤圭一氏による梶原千沙都のCD収録がスタートしました。
「バリアフリーの花~ヘルマンハープサウンド~」ヘルマンハープ史上、楽器のポテンシャルを本格的に開花させたCDと言われています。このCD製作が起点となり、今回のヘルマンハープ初のリサイタルが実現することになりました。
そんなプロフェッショナルな人々の熱い思いがこの日から始動しました!
(写真はKim Studioにて)
ソロリサイタルというステージで、2本の腕でどうやってヘルマンハープの感動をお客様に伝えられるか?
リサイタルに向かって、全てが手探りの日々でしたが、ご支援いただいたみなさまのおかげで、すべては忘れられない感動的な思い出となりました。
今はまた、いつものように、教室講義やセミナー、各種行事に追われながら、日本中を移動しています。この何でもないように見える日常に私は鍛えられているのだと思います。
いつかまた、みなさまと夢でお会いできるように、自分を鍛え、進化させていきたいと思います。
このリサイタルでいただいた素敵なご縁に感謝します!
ヘルマンハープ
番外編その1〜バックステージ〜
今回は本番以外の時間での様子をご紹介します。
◇ホワイエにて
1週間に3回のリサイタルを行いました。どの会場のホワイエでも、コンサート終了後は、来場者のちょっと興奮気味の、明るい笑顔に出会うことができて幸せでした。
東京のリサイタルには、女優で、社団法人「MAZEKOZEの社会をめざす Get in touch!」の理事長、東ちづるさんがご来場くださいました。
この方が、コンサートプロデューサーの伊藤圭一さんです。大阪公演を終えて。
親族も駆けつけました。
サイン会は盛況でした。
◇楽屋にて
ヘアメイク中も台本を読みます!ヘアメイクさんが、小花を飾ってくださったヘアスタイルが、バイエルンからオーストリアの皇妃として嫁いだ「エリザベート」に似ていたため、前半の衣装は「エリザベート風」と決まりました。
◇テクニカルチーム
ご来場のみなさまから、今回の音響、映像、照明を駆使したステージに「演出が素晴らしく、予想外だった」と、ご好評をいただきました。
第一部のストーリの上映は、音と映像がリアルタイムで組み合わせ、編集しながらの、言いかえるとライヴ上映でした。「音の余韻と映像の余韻がぴったり重なって素晴らしかった」という感想は、このような緻密な操作によるものでしょう。
音響は、客席に座っているお客様が、まるで自分が演奏しているかのような聴こえ方を演出。ヘルマンハープの音に包まれるという感覚を楽しんでいただけたと思います。
ただし、この素晴らしい音響演出をするためには、一方で、ヘルマンハープの奏者の私は、いつもよりずっと早い音の立ち上がり方に耐えながら弾くという試練に耐えなければいけませんでした。何もかもおまかせではなく、奏者にも特殊な演出を可能にする力量が求められるのですね。
照明も、桜や雪の結晶の模様が客席の天井に映し出され、舞台と客席がビジュアル的にも美しく一体感になりました。
また、伊藤圭一氏率いる技術チームのすごさは、演出が完全に音楽と連動しながら作り上げられることです。
メンバーの皆さんの高度な技術によって、この美しいステージが可能となりました!
第4部 フィナーレ
プログラム最後は、障がいのある奏者と健常者の奏者がともに演奏する「バリアフリーステージ」です。
(※本番中に写真撮影禁止だったため、リハーサルのときの写真でご紹介します。)
《会えるそのときまで》を演奏し、フィナーレを飾りました。
バリアフリーステージは、実は梶原千沙都が名づけ、2006年から障がいのある奏者を率いて全国で披露しているステージです。
ダウン症の息子のために誕生したヘルマンハープ。そのオリジナルの姿を伝え、障がいがひとつの個性として受け入れられることを目標に、梶原千沙都がライフワークとして続けている活動です。
障がいのある奏者のことを、「バリアフリー奏者」と呼んでいます。私自身も「スペシャルオリンピックス」のアスリートや「日本ダウン症協会」のハーピストを指導し、多くのバリアフリー奏者が西日本にも東日本にもようやく育ってきました。
今回、東西の舞台では、それぞれ異なるメンバーが出演してくれました。バリアフリー奏者をフォローするインストラクターや保護者の方たちも、ともにステージに上がってくれました。
客席から登場する場面も演出の一つでした。
出演者とともに舞台監督から「プロ」としてのバリアフリーステージの見せ方を教えていただきながら、練習しました。
「リサイタルを見たヘルマンハープの受講生のフォームややる気が一気に変わった!」という感想がたくさん教室から寄せられましたが、驚いたのは、障がいのある受講生の指導者たちからも、「リサイタルを見た障がいのある受講生の弾き方が目を見張るほど変わった」という報告が何件もあったのです。
このことだけでも、障がいのある人の”学ぶ力”がどれほど開かれているかがわかります。奏法も健常者のためだけのものではありません。教室でも、自分ができそうな奏法にはどんどんチャレンジします。そしてバリアフリー奏者たちは、舞台を重ねるびに動じることなく、どんどんパーフォーマーとしての貫禄をつけていきます。出演前に動じる気配もなく、いつもステージを楽しんでいますから、ほんとうに頼もしい限りです。
「《会えるそのときまで》の演奏に涙が出た」という感想が多くありました。みなさんに生きる勇気をお届けするステージなのです。
(※本番中に写真撮影禁止だったため、リハーサルのときの写真でご紹介します。)
《会えるそのときまで》を演奏し、フィナーレを飾りました。
バリアフリーステージは、実は梶原千沙都が名づけ、2006年から障がいのある奏者を率いて全国で披露しているステージです。
ダウン症の息子のために誕生したヘルマンハープ。そのオリジナルの姿を伝え、障がいがひとつの個性として受け入れられることを目標に、梶原千沙都がライフワークとして続けている活動です。
障がいのある奏者のことを、「バリアフリー奏者」と呼んでいます。私自身も「スペシャルオリンピックス」のアスリートや「日本ダウン症協会」のハーピストを指導し、多くのバリアフリー奏者が西日本にも東日本にもようやく育ってきました。
今回、東西の舞台では、それぞれ異なるメンバーが出演してくれました。バリアフリー奏者をフォローするインストラクターや保護者の方たちも、ともにステージに上がってくれました。
客席から登場する場面も演出の一つでした。
出演者とともに舞台監督から「プロ」としてのバリアフリーステージの見せ方を教えていただきながら、練習しました。
「リサイタルを見たヘルマンハープの受講生のフォームややる気が一気に変わった!」という感想がたくさん教室から寄せられましたが、驚いたのは、障がいのある受講生の指導者たちからも、「リサイタルを見た障がいのある受講生の弾き方が目を見張るほど変わった」という報告が何件もあったのです。
このことだけでも、障がいのある人の”学ぶ力”がどれほど開かれているかがわかります。奏法も健常者のためだけのものではありません。教室でも、自分ができそうな奏法にはどんどんチャレンジします。そしてバリアフリー奏者たちは、舞台を重ねるびに動じることなく、どんどんパーフォーマーとしての貫禄をつけていきます。出演前に動じる気配もなく、いつもステージを楽しんでいますから、ほんとうに頼もしい限りです。
「《会えるそのときまで》の演奏に涙が出た」という感想が多くありました。みなさんに生きる勇気をお届けするステージなのです。
第3部 ヘルマンハープとチターのデュオステージ
ドイツを代表するチターの名匠、ヴィリ・フーバー氏が今回のリサイタルの共演で来日しました。梶原千沙都のCD「バリアフリーの花~ヘルマンハープサウンド~」(2012年発売)でコラボレーションを披露し、多くの方からこの美しいデュオをライヴで聴きたいという声がありました。
ヘルマンハープもチターも、実はドイツ・バイエルンの楽器です。またどちらの楽器も、もともとは家庭の中で演奏する楽器として誕生し、生い立ちが似ている楽器でもあるのです。
ヴィリ・フーバー氏との競演では、音域が広がり新しい世界が生まれました。ヘルマンハープの長い余韻をともなう澄んだ高音の響きに、チターの深みのある中音の響きが加わり、新たな弦楽のハーモニーが聴衆を包みました。
「親戚同士の楽器のハーモニーを越えた、どこにもない、新しい音楽の世界が作られている」という感想や、「素晴らしいコラボレーションに感動!音の厚みがすごくて、トリハダだった!」という感想が寄せられています。
途中、ヴィリ・フーバー氏のチターのソロ演奏もあり、《第三の男》ではみなさん、チターの世界に酔いしれました。
トークについてもコメントを多くいただきました。「お話の仕方が気さくでかわいらし方だと思った」と言うのが、私の気に入っているコメント。なにせ、50歳を過ぎて、「かわいらしい」とい言葉をなかなか聞くことはできませんので…。
ヴィリ・フバーさんにはドイツ語でお話を伺いし、チターの難しさや魅力を教えていただきました。
第4章へ続く...
ヘルマンハープもチターも、実はドイツ・バイエルンの楽器です。またどちらの楽器も、もともとは家庭の中で演奏する楽器として誕生し、生い立ちが似ている楽器でもあるのです。
ヴィリ・フーバー氏との競演では、音域が広がり新しい世界が生まれました。ヘルマンハープの長い余韻をともなう澄んだ高音の響きに、チターの深みのある中音の響きが加わり、新たな弦楽のハーモニーが聴衆を包みました。
「親戚同士の楽器のハーモニーを越えた、どこにもない、新しい音楽の世界が作られている」という感想や、「素晴らしいコラボレーションに感動!音の厚みがすごくて、トリハダだった!」という感想が寄せられています。
途中、ヴィリ・フーバー氏のチターのソロ演奏もあり、《第三の男》ではみなさん、チターの世界に酔いしれました。
トークについてもコメントを多くいただきました。「お話の仕方が気さくでかわいらし方だと思った」と言うのが、私の気に入っているコメント。なにせ、50歳を過ぎて、「かわいらしい」とい言葉をなかなか聞くことはできませんので…。
ヴィリ・フバーさんにはドイツ語でお話を伺いし、チターの難しさや魅力を教えていただきました。
第4章へ続く...
リサイタル・アルバム 〜ステージ編②〜
第2部の「梶原千沙都のソロ演奏」では、第1部の映像が消えゆく瞬間、闇の中に、ヘルマンハープと私の姿がスポットライトに浮かび上がり、ソロステージが始まりました。
《虹の彼方に》や《千の風になって》などのヘルマンハープ・ソロ演奏に加え、《コスモス》や《竹田の子守唄》をヘルマンハーで弾きながら歌う試みに、熱い拍手をいただきました。
「梶原千沙都さんの透明感のある伸びのいい声と、ヘルマンハープの繊細な音色が美しく重なりあい、心に沁みた」
という声を多くいただきましたが、私なりにヘルマンハープの弾き歌いで心がけていることは、歌を入れることで、聴く人のヘルマンハープへの印象が変わらないようにと言うことです。ヘルマン先生から、「ヘルマンハープ歌手」の称号を与えられましたが、ヘルマン先生の教えは、「例えば、オペラ歌手のような歌い方をすると、聴く人が、ヘルマンハープを遠い存在だと思ってしまうかもしれない」ということです。
ヘルマンハープという楽器と言う楽器が人から遠い楽器にならないよう、弦の音色と声が互いに響き合う関係を大切にしたいと思いっています。
また、今回の公演では、何台ものビデオカメラによって手元の映像が、いろいろな角度からステージ中央のスクリーンに映し出され。楽譜の上の弦をつま弾くヘルマンハープのしくみが、手に取るようにわかります。
「手の動きが、バレエや踊りを見ているように美しく感動した」
「大きな画面に奏法が映し出され、一つ一つの音をいかに活かされているかがわかった」
「ヘルマンハープは、こんなに様々な音楽表現のできる楽器だということを実感した」
など、手元の映像については、何ページにもわたる感動の声をひっきりなしにいただきました。
“手の動きが美しい”というお褒めの言葉はとてもうれしいです。でも、手を美しく見えるように動かしているというわけではないので、ここで少し解説を。
弾き方の基本は、もちろん「ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉」(2012年、梶原千沙都著)の基本奏法です。ですから基本は手の上下運動です。でも、正中線を移動させながら、テンポをはかりながら、次の音への構えや指のタッチの速度を狙いながら、難度の高い曲をひくと、あのようになるわけです。基本は、すべて上記の奏法の本のセオリーに基づいているということなのです。
ソロ演奏の締めは、「圧巻」という声の上がった、梶原千沙都流の《ジムノペディ》でした。この曲の演奏では、アルペジオで弾く、すべて和音の弾き方を変えながら弾きます。身体感覚を奏法に反映させることで、ヘルマンハープでジムノペィの心地よい雰囲気を醸し出すことができる1曲です。
楽屋では、出演前に、ウオーキングの先生の高嶋さんがお手伝いに駆けつけてくださったので、身体の動きを促進する体操をさっそく教えてもらってウオーミングアップしました。
大舞台でのソロ・リサイタルというのは、私にとって極度の緊張の日々でした。日中は十分な練習時間が取れないので、夕食後に一旦3時間ほど睡眠をとり、3時間ぐらい練習して、また3時間ぐらい眠るという日々を過ごしました。
すると、習慣とは恐ろしいもので、3時間眠ると目覚めてしまいます。1か月経って、今やっと続けて眠れるようになりました。
実は、この緊張は社内も同じでした。いったい、ヘルマンハープでの初めてのリサイタルが成功するのか?
だれも確信が持てませんでした。ヘルマンハープでプロの舞台を成功させるというみんなのチャレンジでした。おかげさまで、ホワイエのスタッフのみなさんの動きも高く評価していただきました。
次回は第3部についてご紹介します。
《虹の彼方に》や《千の風になって》などのヘルマンハープ・ソロ演奏に加え、《コスモス》や《竹田の子守唄》をヘルマンハーで弾きながら歌う試みに、熱い拍手をいただきました。
「梶原千沙都さんの透明感のある伸びのいい声と、ヘルマンハープの繊細な音色が美しく重なりあい、心に沁みた」
という声を多くいただきましたが、私なりにヘルマンハープの弾き歌いで心がけていることは、歌を入れることで、聴く人のヘルマンハープへの印象が変わらないようにと言うことです。ヘルマン先生から、「ヘルマンハープ歌手」の称号を与えられましたが、ヘルマン先生の教えは、「例えば、オペラ歌手のような歌い方をすると、聴く人が、ヘルマンハープを遠い存在だと思ってしまうかもしれない」ということです。
ヘルマンハープという楽器と言う楽器が人から遠い楽器にならないよう、弦の音色と声が互いに響き合う関係を大切にしたいと思いっています。
また、今回の公演では、何台ものビデオカメラによって手元の映像が、いろいろな角度からステージ中央のスクリーンに映し出され。楽譜の上の弦をつま弾くヘルマンハープのしくみが、手に取るようにわかります。
「手の動きが、バレエや踊りを見ているように美しく感動した」
「大きな画面に奏法が映し出され、一つ一つの音をいかに活かされているかがわかった」
「ヘルマンハープは、こんなに様々な音楽表現のできる楽器だということを実感した」
など、手元の映像については、何ページにもわたる感動の声をひっきりなしにいただきました。
“手の動きが美しい”というお褒めの言葉はとてもうれしいです。でも、手を美しく見えるように動かしているというわけではないので、ここで少し解説を。
弾き方の基本は、もちろん「ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉」(2012年、梶原千沙都著)の基本奏法です。ですから基本は手の上下運動です。でも、正中線を移動させながら、テンポをはかりながら、次の音への構えや指のタッチの速度を狙いながら、難度の高い曲をひくと、あのようになるわけです。基本は、すべて上記の奏法の本のセオリーに基づいているということなのです。
ソロ演奏の締めは、「圧巻」という声の上がった、梶原千沙都流の《ジムノペディ》でした。この曲の演奏では、アルペジオで弾く、すべて和音の弾き方を変えながら弾きます。身体感覚を奏法に反映させることで、ヘルマンハープでジムノペィの心地よい雰囲気を醸し出すことができる1曲です。
楽屋では、出演前に、ウオーキングの先生の高嶋さんがお手伝いに駆けつけてくださったので、身体の動きを促進する体操をさっそく教えてもらってウオーミングアップしました。
大舞台でのソロ・リサイタルというのは、私にとって極度の緊張の日々でした。日中は十分な練習時間が取れないので、夕食後に一旦3時間ほど睡眠をとり、3時間ぐらい練習して、また3時間ぐらい眠るという日々を過ごしました。
すると、習慣とは恐ろしいもので、3時間眠ると目覚めてしまいます。1か月経って、今やっと続けて眠れるようになりました。
実は、この緊張は社内も同じでした。いったい、ヘルマンハープでの初めてのリサイタルが成功するのか?
だれも確信が持てませんでした。ヘルマンハープでプロの舞台を成功させるというみんなのチャレンジでした。おかげさまで、ホワイエのスタッフのみなさんの動きも高く評価していただきました。
次回は第3部についてご紹介します。
リサイタル・アルバム〜ステージ編①〜
この度のリサイタルは大きく4つのステージがありました。
今回は第1部をご紹介します。
第1部「映像と音楽で楽しむヘルマンハープ・ストーリー」では、ステージ上の大型スクリーンに、美しいドイツの映像を交えて、ドイツ人のヘルマン・フェー氏によってダウン症の息子のためにヘルマンハープが誕生した経緯、そして、日本人として初めてヘルマンハープに出会った「梶原千沙都のヘルマンハープ・ストーリー」が上映されました。
ヘルマンハープは1987年にドイツ人の農場主ヘルマン・フェー氏によって、ダウン症の息子さんのアンドレスさんのために開発された楽器でした。
アンドレアスさんが美しい音色でハープを弾く姿を見て、同じ施設の親御さんが、自分の子どもたちにも楽器を分けてほしいと言ってヘルマンさんを訪ねてくるようになりました。そして、健常者もまた美しい音色に魅せられて、楽器を分けてほしいと、ヘルマンさんを訪れるようになりました。
私は日本人として、初めてヘルマンハープに出会いました。2003年、夫の仕事の都合で、ウィーンに住んでいた時です。
それから、一人の主婦に何が起こったのか?そのあたりを、音楽プロデューサーの伊藤圭一氏収録の美しいヘルマンハープのサウンドと、佐々木美穂さんのやさしい語り、そして繰り広げられる数々の映像が10分ちょっとという凝縮した時間でご覧いただきました。
実は驚くことに、このストーリーの上映は、伊藤圭一氏によって、リアルタイムで映像や音が操作され、会場やお客様のコンディションに合う操作がなされていたのです!
どこまでも緻密な舞台演出は、このような見えないところにもなされていたとは!舞台の美しさって、こういうプロのこだわりで作られるのでしょうね。
お客様からは、音楽プロデューサーの伊藤圭一氏収録の美しいヘルマンハープのサウンドが、繰り広げられる映像にぴったりと合って、
「ヘルマンハープの歴史や知らなかったドイツの情景も見ることができ、最初のストーリーの映像がとてもよかった!」
「映像とナレーションで、ドイツでのヘルマンハープの物語や千沙都さんの日本へのヘルマンハープ導入の情熱に感激した」
という感想を多くいただきました。
なぜ、42歳でヘルマンハープと運命の出会いをした女性が、54歳でヘルマンハープ初のソロ・リサイタルを開いているのか?という、この世にも稀な出来事に対する素朴な疑問にもお答えする内容だったようです。
次回は第2部です。
今回は第1部をご紹介します。
第1部「映像と音楽で楽しむヘルマンハープ・ストーリー」では、ステージ上の大型スクリーンに、美しいドイツの映像を交えて、ドイツ人のヘルマン・フェー氏によってダウン症の息子のためにヘルマンハープが誕生した経緯、そして、日本人として初めてヘルマンハープに出会った「梶原千沙都のヘルマンハープ・ストーリー」が上映されました。
ヘルマンハープは1987年にドイツ人の農場主ヘルマン・フェー氏によって、ダウン症の息子さんのアンドレスさんのために開発された楽器でした。
アンドレアスさんが美しい音色でハープを弾く姿を見て、同じ施設の親御さんが、自分の子どもたちにも楽器を分けてほしいと言ってヘルマンさんを訪ねてくるようになりました。そして、健常者もまた美しい音色に魅せられて、楽器を分けてほしいと、ヘルマンさんを訪れるようになりました。
私は日本人として、初めてヘルマンハープに出会いました。2003年、夫の仕事の都合で、ウィーンに住んでいた時です。
それから、一人の主婦に何が起こったのか?そのあたりを、音楽プロデューサーの伊藤圭一氏収録の美しいヘルマンハープのサウンドと、佐々木美穂さんのやさしい語り、そして繰り広げられる数々の映像が10分ちょっとという凝縮した時間でご覧いただきました。
実は驚くことに、このストーリーの上映は、伊藤圭一氏によって、リアルタイムで映像や音が操作され、会場やお客様のコンディションに合う操作がなされていたのです!
どこまでも緻密な舞台演出は、このような見えないところにもなされていたとは!舞台の美しさって、こういうプロのこだわりで作られるのでしょうね。
お客様からは、音楽プロデューサーの伊藤圭一氏収録の美しいヘルマンハープのサウンドが、繰り広げられる映像にぴったりと合って、
「ヘルマンハープの歴史や知らなかったドイツの情景も見ることができ、最初のストーリーの映像がとてもよかった!」
「映像とナレーションで、ドイツでのヘルマンハープの物語や千沙都さんの日本へのヘルマンハープ導入の情熱に感激した」
という感想を多くいただきました。
なぜ、42歳でヘルマンハープと運命の出会いをした女性が、54歳でヘルマンハープ初のソロ・リサイタルを開いているのか?という、この世にも稀な出来事に対する素朴な疑問にもお答えする内容だったようです。
次回は第2部です。
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