ヘルマンハープ・梶原千沙都オフィシャルブログ

ヘルマンハープ・梶原千沙都のオフィシャルブログです。ヘルマンハープの音楽事業家として、福祉と音楽をつなぐヘルマンハープでの新しい日独友好の文化交流、そして生涯教育活動をトータルプロデュースしています。

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ドイツのマガジン(雑誌)に載りました!

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残暑お見舞い申し上げます。
ほんとうに暑い日が続いていますがお変わりありませんか?
ヘルマンハープが作られているのはドイツのバイエルン州のシュタイガ‐ヴァルトと言われる地域です。ヘルマンハープの開発者、ヘルマン・フェー氏は、1935年にこの地で農場主の一人息子として生まれました。ドイツから届いたこの地方を紹介するマガジン(雑誌)に、ヘルマン先生がヘルマンハープとオリジナルの楽譜が一人息子のアンドレアスさんのために考案した物語や昨年のヘルマン先生80歳のお祝いのコンサートの様子が掲載されました。雑誌の表紙には、お城とおいしそうなビールとヘルマンハープも載っています。
ヘルマンハープが誕生して29年目を迎えます。
現在81歳になられたヘルマンハープ開発者ヘルマン・フェー氏と48歳になられた息子のアンドレアスさんです。とても素敵なお二人の写真が紙面を飾っています。このお二人によって、何万もの人々にヘルマンハープで音楽を奏でる喜びが分け与えられました。
ドイツには「ハウスムジーク」という言葉がありますが、家庭内や学校、地区などで音楽を奏でることを言います。ヘルマン氏のお父さまはヴァイオリンを、お母様はオルガンを弾かれて、小さなころからご家庭で毎夜、ハウスムジークが繰り広げられていたそうです。そんなハウスムジークを楽しむ習慣は、今、ヘルマンハープを弾く多くの人に引き継がれています。
やさしい音量はご近所迷惑にもならないし、家庭の誰もが楽しめるので、ヘルマンハープはほんとうにハウスムジークにぴったりの楽器です。人々の日常の生活が音楽と共にあることが、ヘルマンハープの普及によって実現されてきました
次のページには、ヘルマン・フェー氏80歳の記念のコンサートでごあいさつされたドイツ連邦共和国の大臣クリスティアン・シュミット氏の祝辞のもようと、私のソロ演奏の様子も一応、ヘルマンハープの名手との解説入りで記事の末席を飾っています。「ヘルマンハープにしかない美しい音質をもつヘルマンハープという楽器。本格的なヘルマンハープでのソロ演奏を確立したい」、「ヘルマンハープをはじけば弾けるだけの楽器とという評価に終わらせたくない!」
ヘルマンハープを持ち帰って普及を始めた当初は、障がいのある人のためにでき楽器だからと、低い楽器だというレッテルを自動的に貼ってしまう人にも多く出会い、それこそ障がいのある人を低く見ている証拠だと感じてずいぶん憤りを感じたものです。障がいのある人のために生まれた楽器が、他の楽器には出せない素晴らしい特色があることを、楽器として示せる演奏に挑戦しなければと強い決意を持っていました。世の中にそれを認めてもらえることは、ヘルマンハープを弾くバリアフリーな奏者(障がいのある奏者)やその親御さんの大きな自信になるのです。
そのようなわけで、無我夢中で取り組んだソロ演奏でしたが、ヘルマンハープが、ソロでさまざまな音楽表現のできる楽器としてドイツ本国のメディアも認めてくれたのかという感じです。だって、楽器のコンクールとなるとやはり最後はソロで勝負するのですよ他楽器は。ピアノもヴァイオリンもフルートも。また、楽器の優劣を判断するのも競うのもソロで試します。
ヘルマンハープの基礎や他楽器の借り物ではない本物の技術が普及すると、ここからヘルマンハープは楽器として自由に羽ばたけるのです。「自分はこうだ」というべきものをやっと持って、ヘルマンハープも他楽器と共演したり、楽曲を選んでいけるのです。自分が何者かを知ることって大事ですね。




 

2016.盛夏です! 梶原千沙都 青山店ミニコンサート

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2016.盛夏です!青山店ミニコンサート

みなさまには、暑中お見舞いを申し上げます。
一昨日はヘルマンハープ青山店での梶原千沙都のミニコンサートでした。
今回もそれぞれの方がそれぞれの想いをヘルマンハープに持ちながら、30度を超える暑い最中にお集まりくださいました。
はじめてヘルマンハープのコンサートを聴く方がほとんどですが、中にはすでにヘルマンハープを愛好されている方も。
ヘルマンハープの歴史やしくみ、学び方なども司会者が解説をして、みなさんヘルマンハープがなんとなくわかったところで演奏のスタートです。
昨日は4か月の赤ちゃんがいらしたので、思わずうれしくて、ドイツの愛唱歌《夜空に星はかぎりなく》という子供が眠る前に歌って聴かせるやさしい曲を弾き歌いでスタートしました。
昨年11月に娘が男の子を授かり、私はめでたくバーバになることができたので、そうすると周囲を見回してどの赤ちゃんを見ても「かわいい!」
どの子も無事に!世界が平和であるように!と願う気持ちも強くなります。
さて、ミニコンサートですが、それから本部講師たちと奏でるアンサンブルの響きをお聴きいただきました。
《会えるそのときまで》《川の流れのように》《浜辺の歌》《グリーンスリーヴス》などのさわやかな曲で暑さを追いやり、今度は童謡から《大きな栗の木の下で》《うみ》を演奏。終わりはスコットランド民謡の《蛍の光》をみんなで歌ってアンサンブル演奏を締めくくりました。
私のソロでは《月の光》《エナジー・フロー》《カヴァティーナ》を演奏。ソロではいつもみんなが一音一音に集中しておられる緊張感が伝わってきます。それは2000人のホールでも同じです。
それがソロ演奏の恐ろしさと醍醐味です。

ミニコンサートの後には、ご来場のみなさんから少しお話を伺うことができるのも楽しみです。
どんな想いを持ってコンサートに来てくださったのかをうかがうと、とても人生勉強になります。
今回のミニコンではこんなお話しを聞くことができました。

♪ミニコン参加3回目で、「ヘルマンハープをライフワークにしようと!」決意をされた男性。その慎重で真摯な思いが伝わってきます。

♪40代ぐらいの女性の方からは、フルタイムで仕事をしているけど、インストラクターになりたいのでどうしたらいいか?というご相談。

♪音楽団体を率いておられて、ボランティアでヘルマンハープを活用し、感動の出前演奏をしたいという女性。夢はさらに広がって、ご主人がこの日は同行。将来は一緒にデュオ演奏をしたいと、ご夫婦の楽しみも見つかったようです。実際、ご夫婦の趣味として、ヘルマンハープを携えて旅行先の旅館のロービーで演奏することをライフワークにしておられるご夫婦にもであったことがあります。

♪作家で朗読家の女性は、なんと、私にお礼を言いたいとのこと。なぜかというと、その方の朗読の際に、いつも他の楽器の演奏家の方と一緒でないと開催できずフレキシブルに活動できなかったが、ヘルマンハープなら自分で語りの合間に演奏しながら弾ける!と喜ばれていました。
よくぞ日本に伝えてくれたということですが、「2003年にヘルマンさんご一家から日本普及のお許しをいただいたのは、実はドイツ語ができたことが大きいのです」と正直に伝えました。1987年から東西ドイツの国境沿いの町で暮らし、ドイツ語を磨きドイツ人の生活にどっぷり浸かり、心と意思を伝える言葉を意のままにできたからです。
でも、心だけでは責任は持てない時がありますよね。大切なことを任せていただくには、自分で自分を追い込み、試す必要があります。
それで、ドイツで日本の事業計画発表会を開催していただき、ドイツ語プレゼンテーションまで自分の意思で行ってきました。そして、ヘルマンハープ日本普及のお許しを得たのです。その発表会に立ち会われたのが、ハット・ブレンナーという当時のクリントン大統領やローマ法王が全幅の信頼を寄せた世界的な国際貿易のコンサルタントでした。他人事のようですが、これには私もびっくり。でも、そのような方に評価していただけたことは、何よりも後の自分の力となりました。
人とのお話しがきっかけとなり、ときどきいろいろな事を思い出します。
ゲストミニコンもこんな風にますます華やかになっていますよ。
次回の青山店のゲストミニコンサートは9月11日(日)です。
心が伝わるヘルマンハープ愛好家の皆さまの演奏をぜひお聴き下さい!






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