柳川に北原白秋の歌を訪ねて
とても暑い日が続いています。
義母の法事で福岡に帰省した折に、家族で柳川の北原白秋の生家を訪ねました。
福岡県柳川市に1885年に北原白秋が生まれた造り酒屋の生家があります。
柳川は柳の木が川辺をやわらかに包む美しい水郷です。そして、ここが白秋先生の詩歌の母体となったのです。
なぜ私が「白秋先生」と呼ぶのかというと、北原白秋が創立した短歌結社、「多磨」の歌人で、白秋の愛弟子の宮柊二創刊の「コスモス」という短歌結社があり、青春時代に私はその「コスモス」の同人として作歌にいそしんでいた時代があるからです。
北原白秋の生家の展示には、白秋の短歌の流れを汲む結社の雑誌が置かれてあり、そこには「コスモス」が積んでありました。なつかしく、思わずその1冊を手に取ると、なんだかフワリと青春のあまい香りがよみがえってきました。
白秋と言えば、一般に「ゆりかごの歌」や「からたちの花」など、童謡や歌曲の作詞でよく知られていますが、明治時代から昭和にかけて、石川啄木や与謝野寛、吉井勇らとともに、詩歌の世界を通して、言葉に夢と力を与えた人だと私は思っています。そして、白秋先生の詩や短歌に親しめば親しむほど、いきいきとリズムを感じさせる日本語の魅力に取りつかれたものでした。白秋の詩は、当時の作曲家たちに、すでに曲のリズムを思い浮かばせるものだったのではないでしょうか。
僭越ながらここで、白秋先生の語感とリズム感の影響うけている感じの当時の私の作品を少し…。
月光に照らしだされしうろこ雲二十三時のおもい騒がし
連翹(レンギョウ)の飛び散るごときレモン色わが目に染みて早春は逝く
羽根のごと庭に初雪舞える夜に嫁ぎゆく日を春と決めたり
宝石の海に沈みてゆくごとく夜の都会へ機は下降する
今回はじめて知ったのですが、北原白秋は校歌や社歌もたくさん作詞していたのですね。「作詞 北原白秋、作曲 山田耕筰」というお宝のような社歌がいくつもあって、驚きです。最近世界遺産になった、「富岡製糸場」の社歌も白秋が作詞しています。なんて贅沢な社歌でしょう。
最後に、柳川と言えば、うなぎも食べました。
柳川のうなぎどんぶりは、せいろ蒸しで、上に錦糸卵がのっています。
白秋先生の好物と聞けば、これを味あわなければ、白秋先生を理解できないかもしれません。白秋先生も私たちも、人間楽しみが必要なのです。
登録:
コメントの投稿
(
Atom
)
0 件のコメント :
コメントを投稿