第4部 フィナーレ
プログラム最後は、障がいのある奏者と健常者の奏者がともに演奏する「バリアフリーステージ」です。(※本番中に写真撮影禁止だったため、リハーサルのときの写真でご紹介します。)
《会えるそのときまで》を演奏し、フィナーレを飾りました。
バリアフリーステージは、実は梶原千沙都が名づけ、2006年から障がいのある奏者を率いて全国で披露しているステージです。
ダウン症の息子のために誕生したヘルマンハープ。そのオリジナルの姿を伝え、障がいがひとつの個性として受け入れられることを目標に、梶原千沙都がライフワークとして続けている活動です。
障がいのある奏者のことを、「バリアフリー奏者」と呼んでいます。私自身も「スペシャルオリンピックス」のアスリートや「日本ダウン症協会」のハーピストを指導し、多くのバリアフリー奏者が西日本にも東日本にもようやく育ってきました。
今回、東西の舞台では、それぞれ異なるメンバーが出演してくれました。バリアフリー奏者をフォローするインストラクターや保護者の方たちも、ともにステージに上がってくれました。
客席から登場する場面も演出の一つでした。
出演者とともに舞台監督から「プロ」としてのバリアフリーステージの見せ方を教えていただきながら、練習しました。
「リサイタルを見たヘルマンハープの受講生のフォームややる気が一気に変わった!」という感想がたくさん教室から寄せられましたが、驚いたのは、障がいのある受講生の指導者たちからも、「リサイタルを見た障がいのある受講生の弾き方が目を見張るほど変わった」という報告が何件もあったのです。
このことだけでも、障がいのある人の”学ぶ力”がどれほど開かれているかがわかります。奏法も健常者のためだけのものではありません。教室でも、自分ができそうな奏法にはどんどんチャレンジします。そしてバリアフリー奏者たちは、舞台を重ねるびに動じることなく、どんどんパーフォーマーとしての貫禄をつけていきます。出演前に動じる気配もなく、いつもステージを楽しんでいますから、ほんとうに頼もしい限りです。
「《会えるそのときまで》の演奏に涙が出た」という感想が多くありました。みなさんに生きる勇気をお届けするステージなのです。
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