ヘルマンハープ・梶原千沙都オフィシャルブログ

ヘルマンハープ・梶原千沙都のオフィシャルブログです。ヘルマンハープの音楽事業家として、福祉と音楽をつなぐヘルマンハープでの新しい日独友好の文化交流、そして生涯教育活動をトータルプロデュースしています。

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「渚の風」の最終号で「ヘルマンハープ物語」が完結しました

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2014年7月から1年間、産経新聞制作から発行された福祉のフリーペパー「渚の風」が最終号を迎えました。これまで表紙を輝かせたのは、オードリー・ヘップバーンやアンジェリーナ・ジョリー。スケータの浅田真央さん、今話題の日本の皇室の佳子様、そして今回の表紙は、イギリス王室のプリンセス、キャサリン妃です。



長い間みなさんに応援いただいた「ヘルマンハープ物語~梶原千沙都さん~」も最終号となりました。
今回は、ヘルマンハープが“人の垣根を越えて広がっている”ヘルマンハープの状況の中で、“楽器の欠点が本質だった”という、私がヘルマンハープの楽器の特徴を発見する過程に触れています。えーっ!と驚かれるかもしれませんね。
そして規則性に基づいているので誰もが身に付けられ、ヘルマンハープの特徴を活かしながら美しい安定した奏法を発見した過程や、ヘルマンハープがもともとどんな曲を弾くために生まれたヨーロッパの楽器なのか。果ては、ヘルマン先生から、ヘルマンハープと歌とのコラボレーションの際に重要な教えを受けたことなど。
そのお教えは足元にも寄り付きがたいほどに深く、ヘルマンハープには、ヘルマン先生が本物のバリアフリー楽器として籠められた思想があり、それがあんなにも美しい音を共鳴させているのではないかと思うのです。


ドイツから持ち帰ったヘルマンハープは、ヘルマンさんご一家のように、私にとっても子供のような存在でした。ヘルマンハープの中に長い間眠ったままだったヘルマンハープの奏法を発見し、まるで子どもを育てるように呼び覚ますことができた感動は忘れることができません。美しい音楽を生み出す術を得て、ヘルマンハープが「自分は本物のすばらしい楽器なんだよ」と語りだしたように感じ、涙が出ました。
この奏法の発見によって、ヘルマンハープはなんときらびやかな楽器に変身したことでしょう。自分自身のソロ演奏の次元が変わったこと、私からインストラクターへ、生徒さんたちへと伝わり、愛好者のみなさんの、響きも演奏姿勢もそれはそれは、2010年までの状況とは比べられないくらいに堂々たるものになりました。
もちろん、ヘルマンハープはだれでも弾けることが大事だし、それだけでもいいのですが、弾く人が立派に見えたり、楽器が一流であることをわかってもらることは、やはりうれしいことなのです。

ライターの赤坂志乃さんには、取材のたびに、膨大な取材の内容をいったいどんなふうにまとめられるのかなあと思っていましたが、いつも魅力的な記事になっていて驚いたものです。
「渚の風」が届くと、思わず他の人のことをはじめて読むように「ふんふん」とうなずき、「へェー」などと驚きながら、私の12年間の流れをあらためてふり返らせていただきました。
ライターの赤坂さま、そして、産経新聞厚生文化事業団のみなさまにお礼を申し上げます。

渚の風のバックナンバーはこちら

柳川に北原白秋の歌を訪ねて

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とても暑い日が続いています。
義母の法事で福岡に帰省した折に、家族で柳川の北原白秋の生家を訪ねました。


福岡県柳川市に1885年に北原白秋が生まれた造り酒屋の生家があります。
柳川は柳の木が川辺をやわらかに包む美しい水郷です。そして、ここが白秋先生の詩歌の母体となったのです。
なぜ私が「白秋先生」と呼ぶのかというと、北原白秋が創立した短歌結社、「多磨」の歌人で、白秋の愛弟子の宮柊二創刊の「コスモス」という短歌結社があり、青春時代に私はその「コスモス」の同人として作歌にいそしんでいた時代があるからです。



北原白秋の生家の展示には、白秋の短歌の流れを汲む結社の雑誌が置かれてあり、そこには「コスモス」が積んでありました。なつかしく、思わずその1冊を手に取ると、なんだかフワリと青春のあまい香りがよみがえってきました。


白秋と言えば、一般に「ゆりかごの歌」や「からたちの花」など、童謡や歌曲の作詞でよく知られていますが、明治時代から昭和にかけて、石川啄木や与謝野寛、吉井勇らとともに、詩歌の世界を通して、言葉に夢と力を与えた人だと私は思っています。そして、白秋先生の詩や短歌に親しめば親しむほど、いきいきとリズムを感じさせる日本語の魅力に取りつかれたものでした。白秋の詩は、当時の作曲家たちに、すでに曲のリズムを思い浮かばせるものだったのではないでしょうか。


僭越ながらここで、白秋先生の語感とリズム感の影響うけている感じの当時の私の作品を少し…。
月光に照らしだされしうろこ雲二十三時のおもい騒がし
連翹(レンギョウ)の飛び散るごときレモン色わが目に染みて早春は逝く
羽根のごと庭に初雪舞える夜に嫁ぎゆく日を春と決めたり
宝石の海に沈みてゆくごとく夜の都会へ機は下降する


今回はじめて知ったのですが、北原白秋は校歌や社歌もたくさん作詞していたのですね。「作詞 北原白秋、作曲 山田耕筰」というお宝のような社歌がいくつもあって、驚きです。最近世界遺産になった、「富岡製糸場」の社歌も白秋が作詞しています。なんて贅沢な社歌でしょう。
最後に、柳川と言えば、うなぎも食べました。


柳川のうなぎどんぶりは、せいろ蒸しで、上に錦糸卵がのっています。
白秋先生の好物と聞けば、これを味あわなければ、白秋先生を理解できないかもしれません。白秋先生も私たちも、人間楽しみが必要なのです。

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