日本最古のカルチャーセンター「銀座おとな塾」の最後のレッスン
7月末を持って、私が講師をつとめる「銀座おとな塾」が閉校になりました。銀座ガス灯通りの優雅な立地で、皆さん、お稽古のあとのランチタイムが充実していたとのこと。ロビーもラウンジのような優雅さでした。
とても残念ですが、10月から都心で開講される4つのヘルマンハープ講座で続けてお勉強されるようです。
どうぞこれからも皆様楽しんでくださいね。
10月に開講されるカルチャー講座です。
・NHK文化センター青山教室(03-3475-1151)
・池袋コミュニティ・カレッジ(03-5949-5486)
・産経学園吉祥寺(0422-40-2261)
・よみうりカルチャー恵比須(03-3473-5005)
リサイタル・アルバム 〜ステージ編②〜
第2部の「梶原千沙都のソロ演奏」では、第1部の映像が消えゆく瞬間、闇の中に、ヘルマンハープと私の姿がスポットライトに浮かび上がり、ソロステージが始まりました。《虹の彼方に》や《千の風になって》などのヘルマンハープ・ソロ演奏に加え、《コスモス》や《竹田の子守唄》をヘルマンハーで弾きながら歌う試みに、熱い拍手をいただきました。
「梶原千沙都さんの透明感のある伸びのいい声と、ヘルマンハープの繊細な音色が美しく重なりあい、心に沁みた」
という声を多くいただきましたが、私なりにヘルマンハープの弾き歌いで心がけていることは、歌を入れることで、聴く人のヘルマンハープへの印象が変わらないようにと言うことです。ヘルマン先生から、「ヘルマンハープ歌手」の称号を与えられましたが、ヘルマン先生の教えは、「例えば、オペラ歌手のような歌い方をすると、聴く人が、ヘルマンハープを遠い存在だと思ってしまうかもしれない」ということです。
ヘルマンハープという楽器と言う楽器が人から遠い楽器にならないよう、弦の音色と声が互いに響き合う関係を大切にしたいと思いっています。
また、今回の公演では、何台ものビデオカメラによって手元の映像が、いろいろな角度からステージ中央のスクリーンに映し出され。楽譜の上の弦をつま弾くヘルマンハープのしくみが、手に取るようにわかります。
「手の動きが、バレエや踊りを見ているように美しく感動した」
「大きな画面に奏法が映し出され、一つ一つの音をいかに活かされているかがわかった」
「ヘルマンハープは、こんなに様々な音楽表現のできる楽器だということを実感した」
など、手元の映像については、何ページにもわたる感動の声をひっきりなしにいただきました。
“手の動きが美しい”というお褒めの言葉はとてもうれしいです。でも、手を美しく見えるように動かしているというわけではないので、ここで少し解説を。
弾き方の基本は、もちろん「ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉」(2012年、梶原千沙都著)の基本奏法です。ですから基本は手の上下運動です。でも、正中線を移動させながら、テンポをはかりながら、次の音への構えや指のタッチの速度を狙いながら、難度の高い曲をひくと、あのようになるわけです。基本は、すべて上記の奏法の本のセオリーに基づいているということなのです。
ソロ演奏の締めは、「圧巻」という声の上がった、梶原千沙都流の《ジムノペディ》でした。この曲の演奏では、アルペジオで弾く、すべて和音の弾き方を変えながら弾きます。身体感覚を奏法に反映させることで、ヘルマンハープでジムノペィの心地よい雰囲気を醸し出すことができる1曲です。
楽屋では、出演前に、ウオーキングの先生の高嶋さんがお手伝いに駆けつけてくださったので、身体の動きを促進する体操をさっそく教えてもらってウオーミングアップしました。
大舞台でのソロ・リサイタルというのは、私にとって極度の緊張の日々でした。日中は十分な練習時間が取れないので、夕食後に一旦3時間ほど睡眠をとり、3時間ぐらい練習して、また3時間ぐらい眠るという日々を過ごしました。
すると、習慣とは恐ろしいもので、3時間眠ると目覚めてしまいます。1か月経って、今やっと続けて眠れるようになりました。
実は、この緊張は社内も同じでした。いったい、ヘルマンハープでの初めてのリサイタルが成功するのか?
だれも確信が持てませんでした。ヘルマンハープでプロの舞台を成功させるというみんなのチャレンジでした。おかげさまで、ホワイエのスタッフのみなさんの動きも高く評価していただきました。
次回は第3部についてご紹介します。
リサイタル・アルバム〜ステージ編①〜
この度のリサイタルは大きく4つのステージがありました。今回は第1部をご紹介します。
第1部「映像と音楽で楽しむヘルマンハープ・ストーリー」では、ステージ上の大型スクリーンに、美しいドイツの映像を交えて、ドイツ人のヘルマン・フェー氏によってダウン症の息子のためにヘルマンハープが誕生した経緯、そして、日本人として初めてヘルマンハープに出会った「梶原千沙都のヘルマンハープ・ストーリー」が上映されました。
ヘルマンハープは1987年にドイツ人の農場主ヘルマン・フェー氏によって、ダウン症の息子さんのアンドレスさんのために開発された楽器でした。
アンドレアスさんが美しい音色でハープを弾く姿を見て、同じ施設の親御さんが、自分の子どもたちにも楽器を分けてほしいと言ってヘルマンさんを訪ねてくるようになりました。そして、健常者もまた美しい音色に魅せられて、楽器を分けてほしいと、ヘルマンさんを訪れるようになりました。
私は日本人として、初めてヘルマンハープに出会いました。2003年、夫の仕事の都合で、ウィーンに住んでいた時です。
それから、一人の主婦に何が起こったのか?そのあたりを、音楽プロデューサーの伊藤圭一氏収録の美しいヘルマンハープのサウンドと、佐々木美穂さんのやさしい語り、そして繰り広げられる数々の映像が10分ちょっとという凝縮した時間でご覧いただきました。
実は驚くことに、このストーリーの上映は、伊藤圭一氏によって、リアルタイムで映像や音が操作され、会場やお客様のコンディションに合う操作がなされていたのです!
どこまでも緻密な舞台演出は、このような見えないところにもなされていたとは!舞台の美しさって、こういうプロのこだわりで作られるのでしょうね。
お客様からは、音楽プロデューサーの伊藤圭一氏収録の美しいヘルマンハープのサウンドが、繰り広げられる映像にぴったりと合って、
「ヘルマンハープの歴史や知らなかったドイツの情景も見ることができ、最初のストーリーの映像がとてもよかった!」
「映像とナレーションで、ドイツでのヘルマンハープの物語や千沙都さんの日本へのヘルマンハープ導入の情熱に感激した」
という感想を多くいただきました。
なぜ、42歳でヘルマンハープと運命の出会いをした女性が、54歳でヘルマンハープ初のソロ・リサイタルを開いているのか?という、この世にも稀な出来事に対する素朴な疑問にもお答えする内容だったようです。
次回は第2部です。
リサイタル・アルバム〜ごあいさつ編〜
ヘルマンハープの“弾き歌い”や、チターとの競演など新しい世界が盛り込まれ、「梶原千沙都ソロ・リサイタル バリアフリーの花」大阪公演(5月31日、6月1日)、東京公演(6月7日)で好評を博しました。今回の公演は、世界で初めてのヘルマンハープ・リサイタル。どんなステージが繰り広げられることかと、多くの方が楽しみにご来場くださいました。
「千沙都さんの優雅な手の動きと素晴らしい音色が目に焼き付いています。ヘルマンハープが、はじけばだれでも弾けるというだけでなく、芸術性あふれる本物の楽器であるという、本当の力、素晴らしさを間近で拝見でき、幸せな瞬間でした!」と、多くの方から感想をいただきました。
まずはご来場いただきました皆さまには厚くお礼を申し上げます。
多くの方に喜んでいただけるリサイタルになりましたことを、心から嬉しく思っています。
そして、その様子をこれから6回に分け、「リサイタル・アルバム」というタイトルでブログに載せていきますので、みなさまからの感想とともに、写真でリサイタルの模様をお楽しみください。
リサイタルの裏話も満載です、お楽しみに!
千沙都
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